もこのHSP暮らし

HSCの子供たちと平凡な幸せを過ごす日々 今日も健康で生きていられることに感謝

我慢しない

下の娘(中2)の一番すごいな!

と思うところは

 

 

「我慢しないこと」

 

 

 

やりたくないことはやらない。

行きたくないところには行かない。

勉強は絶対やらない。(笑

苦手な人には近づかない。

好きな人にはどんどん会いに行く。

おかしいと思うことは避ける。

 

 

普通の人は、多少嫌な人でも我慢して付き合ったり、

目的がわからなくても我慢して勉強したりしているのに、

「我慢しない」が徹底している。

 

 

真似しようとしてもなかなかできないけれど、

これが正しい生き方だと思う。

無理して体を壊すこともないし、健全な生き方だと思う。

 

 

「娘はすごいねー。見習いたいよ。」

というと、

「そう?何がすごいかわからないけど。」とサラッと言われる。

 

 

ひとりひとり

生まれ持った性質、宝が違うんだね。

 

 

あなたはあなたのままで、素敵だよ。

 

 

 

 

 

おかしい、は褒め言葉!

今住んでいる富山県は、
どうもHSPには住みにくい地域なんだよなあ、と思うことが多々ある。


突っ込みたいところはいろいろあるけど、

同調圧力が強い」

ここは「みんな同じがいい」という。

同じ考えじゃないと、はじかれる。

みんな同じなんてこと、絶対にないんだよ。

考え方や価値観、やり方はみんな違う!

個性がひとりひとり違うんだから当たり前でしょ。


私は「みんな違ってみんないい」がしっくりくる。

 

あと

 

「人に迷惑をかけない」

 

これが違和感。

人は、人に迷惑をかけながら生きるんだよ。それが当たり前でしょ。

お互い様だよ。それでいいんだよ。

だから感謝して、今度は誰かに恩返しをしたいと思う。

迷惑かけないなんて、なんて寂しい考え方。

不幸な考え方だと思う。

人に迷惑をかけないように、子供にしつける子育てが、私は嫌だ。


私は「おかげさま」がしっくりくる。

 

それから

 

「我慢」

 

を教える子育てを大事にしている。

「我慢」なんて、わざわざ教えるものだろうか。

本当に不思議。

「思いやり」とか「目標」とか「ルール」とか、

そういうものに付随しているものが、我慢、だと思う。

「我慢」だけを主体にしつけられたら、不満や不安が蓄積されて、
逆にマイナス面が多いのでは?思うことが、身の回りで実に多い。


私は「我慢なんて教えなくていいから自己肯定感を育てることが大事」がしっくりくる。



いろいろ思うところはあるけれど、富山県民の価値観は、それまでの長い歴史が作り出して来たものだから、一概に一掃できるものではないし、
いい人は、ちゃーんとたくさんいる!
素敵な人のおかげで、私は幸せに生きていけることに感謝している。



そこで私は、
先日、教頭先生に

「お母さんはおかしい」と言われた件を思い出す。


私は、ここでは少数派の価値観の違う人間だから、
ここではやっぱり「おかしい」んだ。

おかしくて、よかった!

「おかしい」は褒め言葉だったんだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

不登校になってはじめての通知表

3月25日 担任の先生から電話

 

「通知表を取りに来てください。今日来られますか?」

 

不登校になってからのはじめての通知表。

3学期は初めて1日も出席しなかったので、評価はつけられないはず。

知り合いに聞いた話では、全部「1」だったり、斜線だったりするらしい。

今まで何度話し合いをしても、学習障害のある子供のために何も支援をしてくれなかった。だから授業についていけなくなった。本当は行きたかったのに、授業が苦痛になり、学校に行けなくなった。

 

何もしてくれないのに、頼んでもいない通知表は作ってくれるんだ。。

 

急にやるせない気持ちになる。

 

確認すると、通知表は今後必要になることはなく、
ただ、親が保管するためのものらしい。

通知表、いらないな。

うちの子は頑張っているのに、評価してもらえない通知表を見ることで、

何かメリットがあるんだろうか。

わざわざ仕事の都合をつけてまで、もらいにいく意味があるんだろうか。

行きたくないな。。

この気持ちに正直になってみたいな。間違っていない気がする。

 

「先生、できれば預かってもらうことはできませんか?」

 

(担任)「え!?私が個人的に預かると言うことはできないんです。だって、次の担任に渡すってことですか?学校においておくことはできないんです。お母さん、取りに来てください」

いつもそうだけど、語尾をちょっとあげた、有無をいわせない口調。

「それはできないんです。お母さん」

これを1年間聞いて、辛抱して来た。笑顔で対応し、いつも我慢して来た。

なんだか感情が溢れ出してしまった。

「子供がオール1の成績表をもらってきたら、どんな感情になるか。少し厳しく子供にあたってしまうかもしれません。次の担任の先生に預かってもらえるのなら、できたらそうしてほしいです」

「はあ、、」ため息をつかれた先生は

「私の一存では決め兼ねますので、管理職に相談して折り返しかけます」ガチャン。

これもいつもそうだけど、人のしゃべっている途中で遮り、喋り出す。そして思い切りガチャン。電話がおかしいのかな。いつも耳が痛い。

 

そしてお会いしたこともない、名前も知らない教頭先生からの電話。

「お母さん、どうして取りに来れないんですか?」

(私)「せっかく今穏やかな生活が安定しているのに、成績表をみたら、何も思わずはいられないので」

(教頭)「はっ!(笑う)お母さん!心を強く持ってくださいよ!」

(出た!根性論!
1のついた成績表なんて見たくないのが、普通の自然な不登校の親の感情なのに)

教頭「お母さん、見たくないと思われるなら、分厚い封筒にでも入れて見えないようにして、家に帰って処分すればいいじゃないですか!」

(あまりに思いやりのない物言いに、言葉を失う。子供の通知表を簡単に捨てられる親がいるのだろうか。いろんな複雑な感情が起こるし、痛みを伴うのが普通ということを、想像したこともないのだろうか。毎年この中学で何人もいる不登校の生徒の気持ち、親の気持ちを、考えたことがないのだろうか)

 

(私)「学校で処分していただくわけにはいきませんか?」
(教頭)「そぉんなことしたら!なぁーに言われるかわかったもんじゃありません!!」
(大事なのは、そこ??自分が何か言われることが問題?だとしても相手に言う?)

(私)「私は何も言いません」

(教頭)「そうじゃなくて、世間とか、他にもなんと言われるか」

(私)「私は誰にも言いません」

(教頭)「んー(むしゃくしゃした感じ)まあ、誰かに何か言われるとかそういう問題じゃないんです!!」

(私)「そうですよね。私もそう思います」

 

(私)「教頭先生は、ご自分のお子さんがオール1の成績表を見ても、何も動揺しませんか?」

(教頭)「そりゃあしませんよ!そんなことだけで決まるんじゃないんだから!」

(私)「だけど学校の通知表は、テストとか、提出物とか、勉強とか、そういうものさしで、学校が評価したものですよね」

(教頭)「そんなことないですよ!お母さん!!」

(うそだ。うちの中学に関しては、本当にそれだけの評価しかない。悲しい。ただ一言、共感してくれるだけでいいのに。担任も、学年主任も、教頭も、ただの一言もいままで共感することもなく、笑顔を見せてくれることもなかった。)

 

(教頭)「学校においてくわけにはいかないんです。困りますから取りに来てくださいよ。」

(相手を困らせるのは得策ではない。でも、ここまで不登校ママの気持ちをわかってもらえないと、他の同じ立場の人のためにも、折れては行けない気がした。今まで何十年、誰もこのことを伝えたことはなかったのだろうか。言える人が一石を投じていかなければいかないと思った。そういう積み重ねで、大きな組織はゆっくり変わっていくのだと思う。)

 

(私)「不登校の親で、喜んで通知表を取りに行く親は、いないと思います」

(教頭)「そりゃあ!おかしいですよ!お母さん!!」

 

やり取りの中で、何度か「お母さんはおかしい」と言われた。

 

「お母さんはおかしい」という指摘は、二重の意味で間違っている。

一つ目に、私はおかしくない。葛藤に悩む子を見守る、自然な不登校の親の心情である。

二つ目に、実際におかしいとしても、苦しむ相手に「おかしい」ということは間違っている。お母さんを追い詰めて、子供にとってプラスになることが何かあるだろうか。

 

私は言いたい。

不登校の親を傷つけることだけはやめてほしい。

不登校の親子は、何も悪いことをしていないのに、試練が多いんだよ。

 

大きな組織が変わるのに10年かかると言われる。

長いとも思うが、10年前に、不登校の親がもっと声をあげてくれていたら、今また違うやり方になっていたかもしれない、とも思う。

 

これからは私は、あまり我慢ばかりしないことにする。

思ったことは伝えていくことにする。

 

でも、私の目的は、先生を追い詰めることではない。
先生がどんなに大変な仕事をしているか、よく知っている。

自分の家庭も犠牲にして、朝早くから子供のために頑張ってくださっていることを、とても感謝している。

 

私の目的は

「学校が一歩こちらに歩み寄って、気持ちを聞いてくれるようになること」

最終目標は

「学校のできるところ、家庭のできるところをお互い話し合い、協力し合いながら、子供のために環境を整えられること」

 

そのために、出るところには出ていく。

 

この後、教育委員会にも電話しました。
それはまたいつか。

 

 

ちなみに、夕方になって、担任でも、学年主任でも、教頭でもない、知らない名前の先生から電話があり、

「通知表のことで、管理職で話し合いました。学校で預かることにします」

と、淡々と言われました。

 

「処分するのも痛みを伴うことなんです」

「そうですね」

「次に学校に行った時に、気持ちに余裕があれば受け取れるかもしれません」

「そうですね」

本当に、棒読みのような、淡々とした口調でした。

 

まだまだ味方の先生探しは苦戦しそう。。

 

何にせよ、私のことで、急遽、管理職で話し合わなきゃいけなくなったなんて、大変でしたよね。なんとかならんのかな。

 

問題は、大切なことに気付くチャンス

ある日突然

 

子供が

 

「学校がつまらない、行きたくない」

 

と言いだして、

 

 

 

それから半年、

引越しをしたり、転校をしたり、

楽しくなるように、親子でたくさん工夫をしました。

 

 

 

自分にあった環境に転校し、

楽しく過ごしながら、小学校を卒業することができたけれど、

 

 

気を使う子供なので、

 

 

 

「習い事もやめたり、

せっかく買った物が無駄になったり、

自分のせいで迷惑をかけて、

親に申し訳ない。」

 

 

と、きっと思っていると思う。

 

 

 

そんなことないよ

 

 

っていくら言っても、

心のそこでは、罪悪感が残っているのではないかなぁ。

 

 

 

 

 

本当にそんなことなくて。

 

 

 

 

むしろ、反対に

人生が豊かになって感謝している。

 

 

 

 

子供がさまざまな問題を抱える度に、

 

いろんな体験ができて、

 

いろんな人に出会えて、

 

人生の大切なことに気付けて、

 

本当に、子供のおかげだね。

 

子供が教えてくれたんだね。

 

 

って、

 

 

心から感謝しています。

 

 

 

 

 

育てたことへの恩は

すでに、4歳の頃に返し終わってるんだよ。

 

 

 

 

この気持ち、

自分も親になったらわかるんだろうな。

 

 

 

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HSPの良い面はこんなにたくさんある!

 

敏感な人は、

 

「どうして、自分はHSPで生まれてきたんだろう。
みんなみたいに

いろんなことを気にせずに生きられたらなあ。」

 

と、他の人を羨ましく思うことがあります。

 

 

 

 

でも、そうやって

ネガティブな考えが出てくるときは

余裕のない時なのだと思います。

 

 

 

 

少し休んで疲れが取れたら

きっと、この性質を正しく見ることができるようになるよ。

 

 

 

 

敏感さには、よい面がたくさんあります。

 

  

 

ひといちばい傷つきやすい私だから、

ひといちばい大きく幸せを感じることができる!

 

 

 

自分は自分。

 

今のままで、

ひといちばい不幸になることも、

ひといちばい幸福になることもできるんだよ。

 

 

 

どちらの物語にするかは、私次第。

 

 

満足して生きるか、不満のままで生きるかは

結局は自分で選んでいるんだよね。

 

 

 

 

私は、HSPで、とても満足しているよ。

 

そうじゃなかったとしても、満足していると思うけど。

 

 

 

一つ一つのことを深く深く考えてしまう私だから、

本当に大切なことに気づくことができたし、

深く安定した満足感を得ることができたのは、

間違いなく、HSPの性質を持っていたから。

 

 

生まれるときに、

HSPHSPじゃないか選べて、

自分で選んで生まれてきたのかもね。

 

 

だから、もし今

 

HSPHSPじゃない方が、どちらかいい?」

 

と聞かれたら、

何度聞かれても、HSPを選ぶのだと思います。

 

 

 

私の子供もHSPだけど、

「他の人と同じで生まれてくればよかった〜」

と言うことがあるので、

HSPのよい面をたくさん伝えるようにしています。

 

 

 

敏感さの悪い面だけに注目するのは、間違っているからね。

 

 

HSPのよい面を、思いつくままに

列記してみますね。

 

 

 

・誰も気づかない小さな幸せに気づき、

それを大きく膨らませることができる。

 

・他の人が、1感動しているところを

10感動できる

 

・ただ生きているというだけで、お金や物がなくても、

深い満足を味わうことができる。

 

・日常の何気ない風景に、涙が出るほど感動できる、感動屋。

 

・この世界は美しく、いつまで眺めていても飽きない。

 

・良心的で、人を裏切らない(裏切れない)

 

・誠実で、真面目で、正義感が強いので、人から信頼、安心される。
 

・このようなことから、まわり人から大切にされる

 

・人と心を通わすことを大切にする。

 

・友達を心から大切にする。

 

・すぐに人と深い絆でつながる。

 

・境界線の引き方はへただけど、

その分オープンマインドなので、信用され、すぐに人と仲良くなれる。

 

・共感力に優れているので、人の気持ちがよくわかる。

 

・気持ちをわかってあげるだけで喜ばれる。

 

・聞いたり読んだりした人の体験が、自分も同じ体験をした感覚になり、人生が2倍にも3倍にも豊かになる。

 

・芸術や音楽に深く感動し、魂が震えるほど喜びを感じる。

 

・美味しい料理をじゅうぶんに味わうことができる。

 

・味だけでなく、香りも深く楽しめる。

 

・春夏秋冬の空気の匂いや、繊細な自然の香りを楽しむことができる。

 

・同じ経験をしても、得られるものが他の人よりたくさんあり、お得な人生だな、と思う。

 

・想像力が豊か。頭の中で物語を作る作業はとても楽しい!

 

・どんなにどん底のときでも、喜びを想像する力がある。

 

・直感が鋭い。自分の感覚を信頼しているので、自分に任せて生きています。

 

・物事の本質を見抜く力がある。

 

・人としての正しい感覚を持っていると思う。

 

・人間分析の才能がある。

 

・自分の様々な問題を、自己処理する能力に優れている。

 

・他の人より精神的な成長が早い。

 

・一見弱そうだが、実は強い芯がある。

他の人がHSPと同じくらいの刺激を受けたら、とても普通に生きていけないと言われます。

 

・災害や危険の前触れを察知する能力がある。

 

・弱い人や年配の人、動物や赤ちゃん、心を持たない植物のようなものにも優しい。

 

・困っている人、寂しい思いをしている人に手を貸す。

 

・親切で共感力に長けているために、人のために尽くすことに生きがいを感じる。

 

・愛情や喜びを、より深く感じることができる。

 

・ほんの一言親切に声をかけられるとか、わずかな微笑みといったもので、喜びを満たたすにはじゅうぶんです。

 

・人の不快によく気がつく。気がきく。

 

・戦争や争いを嫌い、平和と友愛を愛する。

 

 

 

 

そろそろ

HSPってお得だな。って、思えてきませんか??

 

 

 

 

 

 

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HSP #よい面

すべての経験にありがとう

今の私があるのは、
過去の体験があるから。

 

 

幼少時代から今まで、いろんなことがあったけど、

辛かったことも、楽しかったことも、すべて大切に受け入れています。

 

 

 

 

 

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アダルトチルドレンだった過去にも感謝しています。

 

 

機能不全家族の中で、私は道化師と、小さいカウンセラー役を

演じていたけれど、

 

 

そんな私だったから、

家族にも、友達にも、みんなから好かれてきた。

友達になった人は、必ず面白いねって笑ってくれた。

だから私も楽しかったし、ずっと幸せだった。

 

 

ただでさえHSCなのに、母親の気持ちにずっと気をつかって生きてきたから、

敏感さに磨きがかかって、

人の気持ちが本当によく分かる。

その結果、どんな人とでも友達になれる、という特技を身につけた。

 

 

甘えられなかったインナーチャイルドは、自分で育ててきたし、

今も育てているので、不満もないです。

 

 

全部受け入れて、納得して、感謝できるようになったのも、

つらい経験が、私にたくさんのことを教えてくれたおかげです。

 

 

そして、その時々で、一緒にいてくれた人のおかげです。

 

 

本当に、すべてのものに感謝したい。

 

 

頑張っていた幼少時代

私は、子どもが学校で人間関係で悩んでいると、子ども以上に落ち込んでしまいます。
 

 

子どもにはいつも楽しく過ごしていてほしい。

笑っていてほしい。

つらい思いをしてほしくない。

幸せになってほしい。

幸せじゃないなら、私が頑張って、なんとかしてやりたい。

 

 

お母さんなら誰でもそんな思いはありますが、

私の場合は、普通の人よりもその気持ちがとても強くて、強くて、

そこには、私だけの課題が隠れているような気がしていました。。。

 

 

 

例えば、普通の親は60パーセントくらいのサービスで子どもの要求に応えているところ、私は120パーセント応えようとしてしまう。

少しでも子どもが退屈そうにしていると落ち着かなくなる。

自分のことは後回しで、全て子ども中心に動いてしまう。(そしてできなくなった時にイライラする)

子どもがそばにいる時は子どもの方に意識が向いてしまって、私が友達とおしゃべりを楽しむことができない。子連れで友達の家に遊びにいっても、他のママたちは、大人同士でおしゃべりしているのに、私だけが、子どもと全力で遊んでいる。

 

などです。

 

 

 

 

 

どうして私はこうなんだろう。

 

何が原因でこうなっているんだろう。

 

 

今出てくる問題は、子どもの時のやり残した宿題だと思うけど、

それがなんだかわからずにいました。

 

 

 

 

 

そうしているうちに、月日は流れて、

今日、ジョギングをしている時に、突然頭をよぎったことがありました。

 

 

そういえば私って小さい頃からずっと、

「私が家族を幸せにしないと」と、思っていたな。

 

 

私の父は、お酒を飲むと母を泣かせ

その分母子密着、母は過干渉で、

私はアダルトチルドレンでした。

 

機能不全家族の家の子どもは、自分の気持ちを後回しにして、家族の中で別の役割を演じているといいます。

 

私はみんなを楽しませるピエロ役、そして母親のカウンセラー役を担っていて、

姉は、存在を消した、「いない人」を演じていました。

 

 

子どもながらに不穏な空気を感じると、

姉はすっと気配を消すので、

私が、家族を幸せにしないといけないと思っていました。

 

 

私がみんなを笑わせると、普通の家族のように楽しく、

家族の幸せのために、私は一生懸命ふざけたり、笑わせたり、

明るく振る舞っていました。

 

 

でもそれは、子どもが気を使わなくてもいいことです。

 

 


久しぶりにそのことを思い出した時、

小さいモコちゃんが、そっと顔を覗かせていました。
 

 

 

そっか。ずっとそこにいたんだね。

気がつかなくてごめんね。

ずっとがんばってきたもんね。

子どもがやる仕事じゃなかったんだよ。

お父さんと、お母さんが気がつかないといけなかったんだよ。

それなのに、自分が笑わせないと、家族がバラバラになっちゃうって思ったんだよね。

 

・・・・・・ありがとう・・・・・

 

深くため息をつきながら、心からこの言葉が出ました。

 

 

ありがとう。

 

今日まで、私を支えてくれた人たち、私と関わってくれた人たち、

大好きな友達、みんな、ありがとう。

 

 

 

それに気がついたら、

子どもに対して、

 

「楽しくなくてもいい」

 

「つらいことがあってもいい」

 

「つまらなくてもいい」

 

と、思えるようになりました。

 

だってそれが人間。自然なこと。

 

退屈になったら、子どもが自分自身で、何か考えるはず。

 

こんなこと思ったのは、母親になって16年目にして、初めてです。

 

 

 

 

お母さんだから子どもを心配しすぎていたということもあるけど、

HSPだから子どもとの間に境界がなくなってしまったということもあるけど、

 

私が小さい頃からずっと

 

「私がみんなを楽しくさせなきゃだめだ」

 

って頑張ってきたから。


そんな、変な思考のクセがあったんだ。

 

 

 

 

大丈夫。子どもはちゃんと、自分で自分の人生を楽しくさせるよね。

 

私がやらなくても、いいよね。

 

今まで、楽しくなくちゃだめだって思ってて、ごめんね。

 

お母さんも少しずつ、成長しているよ。ありがとう。

 

 

 

アダルトチルドレン

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