もこのHSP暮らし

HSCの子供たちと平凡な幸せを過ごす日々 今日も健康で生きていられることに感謝

頑張っていた幼少時代

私は、子どもが学校で人間関係で悩んでいると、子ども以上に落ち込んでしまいます。
 

 

子どもにはいつも楽しく過ごしていてほしい。

笑っていてほしい。

つらい思いをしてほしくない。

幸せになってほしい。

幸せじゃないなら、私が頑張って、なんとかしてやりたい。

 

 

お母さんなら誰でもそんな思いはありますが、

私の場合は、普通の人よりもその気持ちがとても強くて、強くて、

そこには、私だけの課題が隠れているような気がしていました。。。

 

 

 

例えば、普通の親は60パーセントくらいのサービスで子どもの要求に応えているところ、私は120パーセント応えようとしてしまう。

少しでも子どもが退屈そうにしていると落ち着かなくなる。

自分のことは後回しで、全て子ども中心に動いてしまう。(そしてできなくなった時にイライラする)

子どもがそばにいる時は子どもの方に意識が向いてしまって、私が友達とおしゃべりを楽しむことができない。子連れで友達の家に遊びにいっても、他のママたちは、大人同士でおしゃべりしているのに、私だけが、子どもと全力で遊んでいる。

 

などです。

 

 

 

 

 

どうして私はこうなんだろう。

 

何が原因でこうなっているんだろう。

 

 

今出てくる問題は、子どもの時のやり残した宿題だと思うけど、

それがなんだかわからずにいました。

 

 

 

 

 

そうしているうちに、月日は流れて、

今日、ジョギングをしている時に、突然頭をよぎったことがありました。

 

 

そういえば私って小さい頃からずっと、

「私が家族を幸せにしないと」と、思っていたな。

 

 

私の父は、お酒を飲むと母を泣かせ

その分母子密着、母は過干渉で、

私はアダルトチルドレンでした。

 

機能不全家族の家の子どもは、自分の気持ちを後回しにして、家族の中で別の役割を演じているといいます。

 

私はみんなを楽しませるピエロ役、そして母親のカウンセラー役を担っていて、

姉は、存在を消した、「いない人」を演じていました。

 

 

子どもながらに不穏な空気を感じると、

姉はすっと気配を消すので、

私が、家族を幸せにしないといけないと思っていました。

 

 

私がみんなを笑わせると、普通の家族のように楽しく、

家族の幸せのために、私は一生懸命ふざけたり、笑わせたり、

明るく振る舞っていました。

 

 

でもそれは、子どもが気を使わなくてもいいことです。

 

 


久しぶりにそのことを思い出した時、

小さいモコちゃんが、そっと顔を覗かせていました。
 

 

 

そっか。ずっとそこにいたんだね。

気がつかなくてごめんね。

ずっとがんばってきたもんね。

子どもがやる仕事じゃなかったんだよ。

お父さんと、お母さんが気がつかないといけなかったんだよ。

それなのに、自分が笑わせないと、家族がバラバラになっちゃうって思ったんだよね。

 

・・・・・・ありがとう・・・・・

 

深くため息をつきながら、心からこの言葉が出ました。

 

 

ありがとう。

 

今日まで、私を支えてくれた人たち、私と関わってくれた人たち、

大好きな友達、みんな、ありがとう。

 

 

 

それに気がついたら、

子どもに対して、

 

「楽しくなくてもいい」

 

「つらいことがあってもいい」

 

「つまらなくてもいい」

 

と、思えるようになりました。

 

だってそれが人間。自然なこと。

 

退屈になったら、子どもが自分自身で、何か考えるはず。

 

こんなこと思ったのは、母親になって16年目にして、初めてです。

 

 

 

 

お母さんだから子どもを心配しすぎていたということもあるけど、

HSPだから子どもとの間に境界がなくなってしまったということもあるけど、

 

私が小さい頃からずっと

 

「私がみんなを楽しくさせなきゃだめだ」

 

って頑張ってきたから。


そんな、変な思考のクセがあったんだ。

 

 

 

 

大丈夫。子どもはちゃんと、自分で自分の人生を楽しくさせるよね。

 

私がやらなくても、いいよね。

 

今まで、楽しくなくちゃだめだって思ってて、ごめんね。

 

お母さんも少しずつ、成長しているよ。ありがとう。

 

 

 

アダルトチルドレン

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