不登校になってはじめての通知表
3月25日 担任の先生から電話
「通知表を取りに来てください。今日来られますか?」
不登校になってからのはじめての通知表。
3学期は初めて1日も出席しなかったので、評価はつけられないはず。
知り合いに聞いた話では、全部「1」だったり、斜線だったりするらしい。
今まで何度話し合いをしても、学習障害のある子供のために何も支援をしてくれなかった。だから授業についていけなくなった。本当は行きたかったのに、授業が苦痛になり、学校に行けなくなった。
何もしてくれないのに、頼んでもいない通知表は作ってくれるんだ。。
急にやるせない気持ちになる。
確認すると、通知表は今後必要になることはなく、
ただ、親が保管するためのものらしい。
通知表、いらないな。
うちの子は頑張っているのに、評価してもらえない通知表を見ることで、
何かメリットがあるんだろうか。
わざわざ仕事の都合をつけてまで、もらいにいく意味があるんだろうか。
行きたくないな。。
この気持ちに正直になってみたいな。間違っていない気がする。
「先生、できれば預かってもらうことはできませんか?」
(担任)「え!?私が個人的に預かると言うことはできないんです。だって、次の担任に渡すってことですか?学校においておくことはできないんです。お母さん、取りに来てください」
いつもそうだけど、語尾をちょっとあげた、有無をいわせない口調。
「それはできないんです。お母さん」
これを1年間聞いて、辛抱して来た。笑顔で対応し、いつも我慢して来た。
なんだか感情が溢れ出してしまった。
「子供がオール1の成績表をもらってきたら、どんな感情になるか。少し厳しく子供にあたってしまうかもしれません。次の担任の先生に預かってもらえるのなら、できたらそうしてほしいです」
「はあ、、」ため息をつかれた先生は
「私の一存では決め兼ねますので、管理職に相談して折り返しかけます」ガチャン。
これもいつもそうだけど、人のしゃべっている途中で遮り、喋り出す。そして思い切りガチャン。電話がおかしいのかな。いつも耳が痛い。
そしてお会いしたこともない、名前も知らない教頭先生からの電話。
「お母さん、どうして取りに来れないんですか?」
(私)「せっかく今穏やかな生活が安定しているのに、成績表をみたら、何も思わずはいられないので」
(教頭)「はっ!(笑う)お母さん!心を強く持ってくださいよ!」
(出た!根性論!
1のついた成績表なんて見たくないのが、普通の自然な不登校の親の感情なのに)
教頭「お母さん、見たくないと思われるなら、分厚い封筒にでも入れて見えないようにして、家に帰って処分すればいいじゃないですか!」
(あまりに思いやりのない物言いに、言葉を失う。子供の通知表を簡単に捨てられる親がいるのだろうか。いろんな複雑な感情が起こるし、痛みを伴うのが普通ということを、想像したこともないのだろうか。毎年この中学で何人もいる不登校の生徒の気持ち、親の気持ちを、考えたことがないのだろうか)
(私)「学校で処分していただくわけにはいきませんか?」
(教頭)「そぉんなことしたら!なぁーに言われるかわかったもんじゃありません!!」
(大事なのは、そこ??自分が何か言われることが問題?だとしても相手に言う?)
(私)「私は何も言いません」
(教頭)「そうじゃなくて、世間とか、他にもなんと言われるか」
(私)「私は誰にも言いません」
(教頭)「んー(むしゃくしゃした感じ)まあ、誰かに何か言われるとかそういう問題じゃないんです!!」
(私)「そうですよね。私もそう思います」
(私)「教頭先生は、ご自分のお子さんがオール1の成績表を見ても、何も動揺しませんか?」
(教頭)「そりゃあしませんよ!そんなことだけで決まるんじゃないんだから!」
(私)「だけど学校の通知表は、テストとか、提出物とか、勉強とか、そういうものさしで、学校が評価したものですよね」
(教頭)「そんなことないですよ!お母さん!!」
(うそだ。うちの中学に関しては、本当にそれだけの評価しかない。悲しい。ただ一言、共感してくれるだけでいいのに。担任も、学年主任も、教頭も、ただの一言もいままで共感することもなく、笑顔を見せてくれることもなかった。)
(教頭)「学校においてくわけにはいかないんです。困りますから取りに来てくださいよ。」
(相手を困らせるのは得策ではない。でも、ここまで不登校ママの気持ちをわかってもらえないと、他の同じ立場の人のためにも、折れては行けない気がした。今まで何十年、誰もこのことを伝えたことはなかったのだろうか。言える人が一石を投じていかなければいかないと思った。そういう積み重ねで、大きな組織はゆっくり変わっていくのだと思う。)
(私)「不登校の親で、喜んで通知表を取りに行く親は、いないと思います」
(教頭)「そりゃあ!おかしいですよ!お母さん!!」
やり取りの中で、何度か「お母さんはおかしい」と言われた。
「お母さんはおかしい」という指摘は、二重の意味で間違っている。
一つ目に、私はおかしくない。葛藤に悩む子を見守る、自然な不登校の親の心情である。
二つ目に、実際におかしいとしても、苦しむ相手に「おかしい」ということは間違っている。お母さんを追い詰めて、子供にとってプラスになることが何かあるだろうか。
私は言いたい。
不登校の親を傷つけることだけはやめてほしい。
不登校の親子は、何も悪いことをしていないのに、試練が多いんだよ。
大きな組織が変わるのに10年かかると言われる。
長いとも思うが、10年前に、不登校の親がもっと声をあげてくれていたら、今また違うやり方になっていたかもしれない、とも思う。
これからは私は、あまり我慢ばかりしないことにする。
思ったことは伝えていくことにする。
でも、私の目的は、先生を追い詰めることではない。
先生がどんなに大変な仕事をしているか、よく知っている。
自分の家庭も犠牲にして、朝早くから子供のために頑張ってくださっていることを、とても感謝している。
私の目的は
「学校が一歩こちらに歩み寄って、気持ちを聞いてくれるようになること」
最終目標は
「学校のできるところ、家庭のできるところをお互い話し合い、協力し合いながら、子供のために環境を整えられること」
そのために、出るところには出ていく。
この後、教育委員会にも電話しました。
それはまたいつか。
ちなみに、夕方になって、担任でも、学年主任でも、教頭でもない、知らない名前の先生から電話があり、
「通知表のことで、管理職で話し合いました。学校で預かることにします」
と、淡々と言われました。
「処分するのも痛みを伴うことなんです」
「そうですね」
「次に学校に行った時に、気持ちに余裕があれば受け取れるかもしれません」
「そうですね」
本当に、棒読みのような、淡々とした口調でした。
まだまだ味方の先生探しは苦戦しそう。。
何にせよ、私のことで、急遽、管理職で話し合わなきゃいけなくなったなんて、大変でしたよね。なんとかならんのかな。